2006年09月27日

孫子の兵法、言葉の由来

こんにちは、パピィです。

僕はよく本屋に行くのですが、ここ最近ビジネスマンのコーナーに『孫子の兵法』『論語』など先人達の知恵が詰まった書籍が多く見られる気がします。

会社の経営戦略や、人生の歩み方を先人の知恵に習って指南しているのです。

孫子なんて2500万年くらい前の人なのに、その考えが今も適用出来るなんてすごいですよね。


しかしふと思ったのですが、これは日本の漢字・諺にも言えることではないでしょうか。

漢字・諺もずいぶん昔から伝わってきているだけあって、その由来の意味が案外的を得ていたりするのです。

例えば有名なのが『儚(はかな・い)』という漢字。

これはあなたたち人の夢‐美人と結婚したい・アイドルになりたい・お菓子の家に住みたい‐なんてのは所詮は儚い夢物語だぞ、と先人たちが経験に基づいて教えてくれているのではないでしょうか。

また『勇(ゆう、いさ・ましい)』という漢字。

勇ましい・勇者などの言葉からわかる通り、非常に男らしい男を指しますが、これも先人の女たちがそのような男には「マー、何て男らしいの!!」と言っておけば取りあえず勝手に仕事するぞと教えてくれているのではないでしょうか。

さらに『嬲(ドリームズ・カム・トゥルー)』という漢字。

これは音楽でメジャーデビューするには男2人、女1人がバランスよくてうまくいくぞ、でもスペースが狭くて途中で後ろ(右端)の男が落ちるかもしれないから気をつけろと先人たちが教えてくれたのではないでしょうか。


諺も奥が深いです。

例えば『犬も歩けば棒にあたる』。

これは一般的には何かをしようとすれば災難にあったり幸運にあったりするという意味です。

しかし先人たちの気持ちになってみると、そんな単純なことを伝えたいのではなく、もっとグリム童話に隠されたメッセージのような奥深さが込められていると考えられます。

犬も歩けば棒にあたるとあるが、犬はなぜ走らずに歩いていたのか。
その犬は飼い犬なのか、野犬なのか。
一口に犬といっても様々だが、何の種類の犬なのか。
そもそも本当にイヌ科の犬を指しているのか、犬というのはMっ気のある人間の例えではないのか。
もし人間と考えると、道を歩いていて棒に当たることは確率的に有りうることなのか。
むしろボーっと歩いてしまうことの方が多いのではないだろうか。
仮に全ての人間がボーっとしていたら世界はもっと平和なのではないだろうか。
少なくとも日本と韓国はもっと仲良くなっていたのではないだろうか。
また日韓W杯で知ったが韓国では本当に犬の肉を食べるのだろうか。
そのことは日本の嫌韓ブームの要因の一つとなっているのだろうか。
嫌韓、嫌米とあるが、いつから嫌〜という言葉がはやり始めたのだろうか。
何故僕の祖母は嫌細木数子なのだろうか。
普段は温厚で優しい祖母なのに、何故TVに細木数子とスピリチュアルの人が出ると、人が変わったように「チャンネルを変えて!」と怒鳴り散らすのだろうか。
また何故ある程度科学的、統計的に基づいて算出された天気予報はあまり信じようとしないのに、スピリチュアルの言ったことは妄信的に信じてしまうのだろうか。
つまり犬も歩けば棒に当たるというのは、天気予報は信じないでスピリチュアルを信じる人たちのこと、即ち人間は運命に逆らえないぞということなのではないだろうか。



また『河童の川流れ』という諺があります。

これも一般的にはどんな名人でも失敗することがあるという意味ですが、『孫子の兵法』を熟読しかけた僕にはその裏の裏の意味まで考えてしまいます。

河童の川流れとあるが、そもそも河童は川に住んでいる生き物なのではないだろうか。
だとすると河童が川に流れるのは極めて必然的なことではないであろうか。
するとこの場合河童は溺れているのではなく、ただラフティング的なものを楽しんでいるだけなのではないだろうか。
隣で鮭や鮎の群れも一緒に泳いでちゃったりなんかして、いつもより2倍楽しんでいるのではないだろうか。
河童を失敗させたいのなら川流れではなく島流しにしたほうがよいのではないだろうか。
島流しだと周りは海水なので、河童も恐怖のあまり皿にひびが入ったりするのではないだろうか。
そもそも河童なんて空想上の生き物なんだから、そこらへんのさじ加減はしっかりやっとけと皆先人に言いたいのではないだろうか。
っていうかこんなに意味のない長い文章を皆読んでいるのだろうか。
もし読んでいるのだとしたら皆様の貴重なお時間を申し訳ないと僕が感じていることを感じて下さっているのだろうか。
そもそもろくに更新もしないでお前は何をやっていたんだと思っていらっしゃるのではないだろうか。
だから現在のアクセス数がピークの10分の1くらいになっているんだよと思われているのではないだろうか。
ブログランキングなんてもう圏外にいって電波届いてないっつーの状態になってしまっていることをむしろ心地よいと感じていることに気付いているのではないだろうか。
もう文章の収集が付かなくなってきて自分でも何書いているのかよくわからないことになっていることに皆気付いているのだろうか。
つまり河童の川流れとは、河童なんてそもそも存在しない生き物を登場させたせいで文章がおかしくなってきているということ、即ちバーチャルとリアルをごちゃ混ぜにしたらあかんということに落ち着くのではないだろうか。


皆様も読書の秋に孫子を読んでみてはいかがでしょうか。

じゃあまた、パピィより。
posted by パピィパピィ聞こえるかい? at 01:42| Comment(3) | TrackBack(0) | 何も考えていません | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
感動した!
Posted by みっち at 2006年09月28日 20:26
ミクシから来て見てみた。

なんだ、面白いな君。

サイコーです!><
Posted by あい at 2006年09月28日 20:50
>みっちさん
こんにちは、いつもありがとうございます。
僕もあなたの来訪に感動です。

>あいさん
こんにちは、初コメントありがとうございます。
面白いとサブイとキモイとムツゴロウさんは紙一重なので気を付けます。
Posted by パピィ at 2006年09月29日 00:48
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